日本100名城スタンプラリー
公益財団法人日本城郭協会が2006年に選定し、2007年6月2日からスタンプラリーが行われている『日本100名城』を地方別に巡るリスト。姫路城・松本城・彦根城など現存12天守をはじめ、五稜郭・首里城・竹田城跡まで、北海道から沖縄まで全国の名城を網羅します。各城のスタンプは管理事務所や入口などに設置されていますが、設置場所・押印可能時間・料金は変更されることがあるため最新は公式(日本城郭協会/各城)で要確認。地図で全国100城を俯瞰し、チェックインで『何城制覇したか』を記録できます。
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アイヌが築いた「チャシ」(砦や祭祀・談判に使われた施設)の跡群で、天守などの建造物はありません。根室半島に多数分布し、土塁や壕で区画されたヲンネモトチャシ跡などが代表例で、国の史跡に指定されています。「城」を期待すると実態と異なる点に注意。スタンプは根室市歴史と自然の資料館などに設置されますが、設置場所・押印時間は公式で要確認。拠点はJR根室駅。

江戸幕府が海防強化のため松前藩に命じ、1855年に完成した和式城郭。現在の天守は1961年再建の鉄筋コンクリート造復興天守(内部は資料館)で、旧天守は1949年に焼失しています。現存する本丸御門は国の重要文化財、城跡は国の史跡。スタンプは松前城資料館受付、冬季閉館中は町民総合センター(最新日程は公式要確認)。JR木古内駅から函館バスで「松城」下車。

東北唯一の現存天守を持つ城で、三重三階の天守は1810年再建。隅櫓3棟・城門5棟とともに国の重要文化財、城跡は国の史跡です。津軽氏により1611年築城。なお本丸石垣修理のため天守は本丸内へ曳屋された状態で、2026年に元位置へ曳き戻し予定。天守の位置・公開可否・スタンプ設置場所は流動的なため弘前公園公式で要確認。JR弘前駅からバス約15分。

1334年に南部師行が築いた中世の城館で、以後約300年にわたり八戸地方の南部氏の拠点でした。天守はなく、発掘調査に基づき主殿や工房などを本丸跡に復元した「史跡根城の広場」が見どころ。曲輪や空堀が残り、国の史跡に指定されています。スタンプは史跡根城の広場本丸窓口、または八戸市博物館入口横(屋外)。JR八戸駅からバスで「根城(博物館前)」下車すぐ。

南部氏(盛岡藩)の居城で、初代藩主・南部信直が築城を始め、利直・重直の代に整備されました。天守は持たず三重櫓が天守相当の役割を担いましたが現存せず、見どころは花崗岩の総石垣で「東北の石垣三名城」の一つに数えられます。国の史跡で、現在は盛岡城跡公園として整備。スタンプはもりおか歴史文化館に設置。JR盛岡駅から徒歩圏(所要は公式要確認)。

奈良〜平安時代に陸奥国府・鎮守府が置かれた古代の城柵で、近世の天守や櫓を持つ「城」とは性格が異なります。政庁跡や外郭の区画、日本三古碑の一つ多賀城碑が残り、国の特別史跡に指定。東北の政治・軍事の中心でした。スタンプは2025年4月に移転した多賀城跡ガイダンス施設(南門南側)に設置(開設時間・休館日は公式要確認)。JR国府多賀城駅が最寄り。

常陸から転封した佐竹氏の居城で、佐竹氏12代の本拠。石垣をほとんど用いず堀と土塁を主体とした平山城で、天守も造られませんでした。本丸北西隅の御隅櫓は1989年に復元されたもの。現在は千秋公園として整備されています。スタンプは佐竹史料館が改築休館中のため運用変動中で、御隅櫓や秋田市文化創造館での対応など最新状況は秋田市公式で要確認。JR秋田駅から徒歩圏。

通称・鶴ヶ城。蒲生氏郷が1590年に天守を完成させて改称し、後に保科正之が入って会津松平家の居城となりました。戊辰戦争の激戦地です。現在の天守は1965年再建の鉄筋コンクリート造外観復元で、2011年に赤瓦へ葺き替え。干飯櫓などは木造復元され、城跡は国の史跡。スタンプは天守閣出口に接続する売店付近に設置(押印への入館料要否は公式要確認)。周遊バスで「鶴ヶ城入口」下車徒歩約5分。

別名・小峰城。1632年に初代白河藩主・丹羽長重が大改修して梯郭式平山城に整え、以後親藩・譜代の居城(松平定信もその一人)となりました。1868年戊辰戦争で天守相当の御三階櫓が焼失しましたが、現在の三重櫓は1991年に絵図と発掘に基づく木造復元で再建。国の史跡です。スタンプ設置場所・押印時間は公式で要確認。JR白河駅から徒歩圏(本丸は駅の北方約500m)。

水戸徳川家の居城。天守はなく、御三階櫓も水戸空襲で焼失したが、近年に大手門(2020年)と二の丸角櫓・土塀(2021年公開)が木造で復元され見応えが戻った。藩校・弘道館は国の特別史跡。城跡には土塁や空堀、現存の薬医門が残る。1609年に徳川頼房が入り御三家の拠点に。スタンプ設置場所・押印時間は公式で要確認。JR水戸駅北口から徒歩約10分。

天守を持たない大規模な平山城の跡。約47haに石垣・土塁・空堀(堀切)・馬出・井戸などが良好に残り、2016年には郭馬出西虎口門が伝統工法で木造復元された。国の史跡。長野氏が築き、城主・長野業正は武田信玄の攻撃を度々退けたと伝わる。1566年に武田氏が攻略、1590年に井伊直政が入った。スタンプ設置場所・押印時間は公式で要確認。JR高崎駅西口からバスで約30分。

天守が生まれる前の時代の山城跡で、関東の山城では珍しい本格的な石垣で知られる。標高239mの尾根に堀切・土塁・石垣・大手虎口や、石組みの日ノ池・月ノ池が残り、発掘に基づく復元整備が進む。国の史跡。1469年に岩松家純の命で築かれ、後に由良氏らが拠った。スタンプは山頂近くの南曲輪休憩所内(南麓のガイダンス施設とは別)。東武太田駅から徒歩のほか、押印時間は公式で要確認。

天守を持たない連郭式の平山城跡。荒川と深沢川に挟まれた断崖上に、土塁・空堀・土橋・石垣が良好に残り、四脚門や木橋などが復元されている。国の史跡。1476年頃に長尾景春が築いたと伝わり、後に小田原北条氏の北条氏邦が拠点として大改修。1590年の小田原征伐で開城・廃城となった。スタンプは鉢形城歴史館受付。寄居駅から徒歩約25分、押印時間は公式で要確認。

本丸御殿が現存する貴重な城。玄関と大広間(1848年建造)が残り、移築復元の家老詰所とともに埼玉県指定有形文化財で、東日本では希少な遺構。天守はなく富士見櫓が代用で跡地のみ。城跡・櫓跡は県指定史跡。1457年に太田道真・道灌父子が築き、江戸期は譜代の要地として栄えた。スタンプは本丸御殿館内。本川越駅やJR川越駅からバス、開館時間・押印時間は公式で要確認。

石垣を一切用いない土造りの城跡。天守代用の御三階櫓は1813年に焼失し現存しないが、土塁・空堀・水堀や巨大な馬出、各曲輪の形がよく残る。城跡の一角には国立歴史民俗博物館が建つ。1610年に土井利勝が徳川家康の命で築城を再開し、佐倉藩の藩庁となった。指定区分・スタンプ設置場所・押印時間は公式で要確認。JR佐倉駅から徒歩約25分、京成佐倉駅から徒歩約20分。

現在の皇居で、本丸跡などは皇居東御苑として一部公開される。現存天守はなく、明暦の大火で焼けて以後再建されず、巨大な天守台のみが残る。富士見櫓や石垣・水堀のほか、桜田門・田安門・清水門は国の重要文化財。城跡は国の特別史跡。1457年に太田道灌が築き、1590年に徳川家康が入って江戸幕府の中心となった。スタンプ設置場所・公開時間は公式で要確認。JR東京駅・大手町駅から徒歩約5分。

北条氏照が築いた山城の跡で、天守はない。御主殿跡やその虎口の石垣、土塁・曲輪などが山中に残り、戦国期の山城の姿を伝える。後北条氏の支城で、1590年に豊臣方の大軍に攻められ落城したことで知られる。国の史跡。スタンプは八王子城跡ガイダンス施設。JR高尾駅北口からバスで「霊園前・八王子城跡入口」下車徒歩約20分(土日祝は城跡行きあり)。押印時間は公式で要確認。

戦国大名・後北条氏五代の本拠として知られる城。現在の天守は1960年に鉄筋コンクリートで建てられた復興天守で、常盤木門や銅門・馬出門も復元され、石垣・水堀・空堀が残る。国の史跡。15世紀前半に大森氏が築き、北条早雲以降の後北条氏が拡張、1590年の秀吉の小田原攻めで開城した。スタンプは天守閣内。小田原駅東口から徒歩約10分、開館時間・押印時間は公式で要確認。

武田信玄ら武田氏三代の居館「躑躅ヶ崎館」の跡で、国の史跡。城郭ではなく戦国大名の館跡のため天守はなく、跡地には大正期創建の武田神社が建つ。土塁・堀・石垣・曲輪・馬出しなどの遺構が残る。信虎が永正16年(1519年)に本拠を移して築き、勝頼が新府城へ移るまで使われた。スタンプ設置場所・押印時間は武田神社公式で要確認。JR甲府駅北口からバス約10分、終点下車すぐ。

甲府城(舞鶴城)は国の史跡で、現存・復元とも天守はないが天守台の石垣が残る。稲荷櫓・鉄門(くろがねもん)・鍛冶曲輪門などが木造復元され、石垣や堀とともに舞鶴城公園として整備されている。豊臣政権期に築城が進み、江戸期は甲府藩・幕府直轄の城として機能した。スタンプ設置場所・押印時間は山梨県・甲府市公式で要確認。JR甲府駅南口から徒歩約5分の駅至近。

松代城は武田信玄が川中島の戦いに備え永禄年間に築いた海津城が前身で、国の史跡。天守はないが、石垣・土塁・堀が残り、太鼓門や北不明門・木橋が発掘調査に基づき復元され江戸後期の姿に整備されている。元和8年(1622年)に真田信之が入り、以後真田氏が松代藩主として明治の廃城まで居城とした。スタンプは真田邸前付近とされるが設置場所・時間は公式で要確認。長野駅からバスで松代駅下車、徒歩約6分。

上田城は真田昌幸が天正11年(1583年)に築き、二度の上田合戦で徳川軍を撃退した城で、本丸・二の丸の大部分が国の史跡。独立天守はないが、江戸初期からの西櫓が現存し、南櫓・北櫓(再移築された江戸期の建物)、復元の東虎口櫓門と合わせ三櫓が建つ。三櫓は長野県宝。石垣・堀・土塁も残る。スタンプは上田市立博物館等とされ公式で要確認。上田駅から徒歩約12分。

小諸城は城下町より低い位置に築かれた珍しい「穴城」で、懐古園として親しまれる。現存・復元とも天守はないが天守台石垣が残り、現存建造物として大手門と三之門の二棟があり、いずれも国の重要文化財。三之門には徳川家達筆「懐古園」の扁額が掲げられる。仙石秀久が近世城郭へ大改修し、江戸期は小諸藩の居城だった。スタンプ設置場所・時間は懐古園・小諸市公式で要確認。小諸駅から徒歩約3分。

松本城は黒漆塗りの外観で知られる国宝の現存天守。天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓の五棟が連結複合式に建ち、国宝に一括指定される。城跡自体も国の史跡。前期天守は文禄年間に石川数正・康長父子が築き、後期に辰巳附櫓・月見櫓が増築された。総堀・内堀や黒門・太鼓門の桝形も残る。スタンプは有料区域内・松本城管理事務所管理で、詳細は公式で要確認。JR松本駅から徒歩約20分。

高遠城は明治8年に公園化された城跡で、天守はなく曲輪・横堀・土塁が残る。固有種タカトオコヒガンザクラ約1,500本が咲く「天下第一の桜」の名所として知られ、国の史跡に指定。移築門の問屋門や藩校・進徳館などが残る。天文16年(1547年)に武田信玄が改修し、天正10年(1582年)には仁科盛信が籠城して落城した。スタンプは伊那市立高遠町歴史博物館に設置(玄関外で押印可)。伊那市駅・伊那北駅からバス約25分「高遠」下車後、徒歩約20分。

新発田城は別名あやめ城とも呼ばれる溝口氏・新発田藩の居城。正式な天守はないが現存建造物として表門と旧二の丸隅櫓があり、いずれも国の重要文化財。復元された三階櫓はT字型の大棟に三匹の鯱を載せる全国唯一の構造だが、自衛隊敷地内のため外観のみ見学可。スタンプは公開期間(3/20〜11/30)は表門、冬期閉鎖中は市役所本庁舎等に設置(押印無料)。JR新発田駅から徒歩約20分。

春日山城は戦国武将・上杉謙信の居城として知られる標高約180mの中世山城で、国の史跡。天守や現存する建物はなく、本丸・二の丸などの郭群、土塁と堀による総構、空堀・大井戸といった遺構が広大な城域に残る。永正10年(1513年)の古文書に初見し、16世紀後半に大規模整備された難攻不落の名城と伝わる。スタンプは春日山城跡ものがたり館、冬季休館中は上越市埋蔵文化財センターに設置。春日山駅から徒歩約40分、またはバス利用。

高岡城は加賀前田家二代・前田利長が慶長14年(1609年)に隠居城として築いた平城で、国の史跡。前田家時代の建造物は現存せず、現在は高岡古城公園として整備され、広い水堀や土塁・石垣が残る。縄張りは高山右近の手によるとの伝承があるが近年は諸説あり確定していない。1615年の一国一城令で廃城となった。スタンプは公園内の高岡市立博物館に設置(閉館後は入口前で24時間押印可)。あいの風とやま鉄道・高岡駅から徒歩約15分。

七尾城は能登畠山氏が築いた標高約300mの大規模な山城で、国の史跡。天守や現存建物はないが、本丸など各曲輪や数段に積み上げた本丸石垣、土塁・堀切が残り、戦国山城の遺構として名高い。築城者は能登畠山氏とされる。天正5年(1577年)に上杉謙信に攻略され、能登畠山氏は滅亡した。スタンプは七尾城史資料館(玄関軒先、冬季休館中も押印可)、代替で七尾市教育委員会文化課でも可。JR七尾駅から本丸まで車で約15分。

金沢城は加賀百万石・前田家の居城で、国の史跡。天正11年(1583年)に前田利家が入城した。天守は慶長7年(1602年)の落雷焼失後に再建されず、現存建造物は石川門・三十間長屋・鶴丸倉庫の三棟で、いずれも国の重要文化財。菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓や河北門・鼠多門などが復元され、金沢城公園として整備されている。スタンプは二の丸案内所等とされるが設置場所は公式で要確認。JR金沢駅からタクシー約10分、またはバス利用。

一乗谷城は戦国大名・朝倉氏が五代約103年にわたり越前支配の拠点とした城下町遺跡で、天守はなく標高473mの山城遺構と館跡からなる。特別史跡・特別名勝・重要文化財の三重指定を受ける全国でも稀な遺跡で、発掘された石垣・礎石を用いた「復原町並」も見どころ。天正元年(1573年)に織田信長の軍勢に焼かれ朝倉氏は滅亡した。スタンプは復原町並入口や福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館受付とされるが公式で要確認。JR一乗谷駅から徒歩、またはJR福井駅からバス利用。

本丸を標高約717mに置く山城で、天守建物はなく、六段に積み上げられた壮大な「六段壁」と呼ばれる高石垣が最大の見どころ。城跡は国の史跡。中世以来の要害で、江戸期は岩村藩の藩庁が置かれた。日本100名城スタンプは麓の岩村歴史資料館受付に設置(最新の押印時間は公式で要確認)。資料館から本丸までは徒歩約20分の登りで、明知鉄道岩村駅から徒歩圏。

金華山(標高約329m)山頂に建つ山城で、現在の天守は昭和31年(1956)築の鉄筋コンクリート造復興天守。かつては稲葉山城と呼ばれ斎藤道三の居城、永禄10年(1567)に織田信長が攻略し「岐阜」と改めた拠点。城跡一帯は国の史跡。山頂へは金華山ロープウェーが便利。天守閣は改修等で休館の時期があり、スタンプ設置場所も変動するため公式で要確認。

後北条氏が築いた山城で、天守などの建物はなく、堀底に畝を残した「障子堀」「畝堀」が良好に残る土の城として知られ国の史跡。天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めで激戦地となった。整備された城跡公園として散策でき、富士の眺望も魅力。日本100名城スタンプは山中城跡売店付近に設置(押印可能時間は公式で要確認)。東名沼津ICや三島駅からバス利用が便利。

山内一豊らが城主を務めた城。平成6年(1994)に日本初の本格木造で復元された天守が建ち、江戸期から現存する二の丸御殿は国の重要文化財に指定されている。御殿は数少ない現存城郭御殿として貴重。日本100名城スタンプは掛川城御殿に設置(押印時間は公式で要確認)。JR掛川駅から徒歩約7分とアクセス良好。

木曽川沿いの高台に建つ城で、現存12天守の一つ。三重四階地下二階の望楼型天守は国宝に指定され、現存最古級の様式を伝える。江戸期は尾張徳川家重臣の成瀬氏が代々城主を務めた。城下町とともに人気の観光地。日本100名城スタンプは犬山城管理事務所に設置(押印時間は公式で要確認)。名鉄犬山遊園駅・犬山駅から徒歩圏。

徳川家康が築いた近世城郭で国の特別史跡。空襲で焼失した大天守は昭和34年(1959)に鉄骨鉄筋コンクリート造で外観復元されたが、現在は耐震性の問題等で天守閣は閉館中。一方、本丸御殿は木造で復元され公開されている。日本100名城スタンプは正門・東門の改札所や総合案内所に設置(最新は公式で要確認)。地下鉄市役所駅等から徒歩圏。

豊川と宇連川の合流点に築かれた城で、天守などの建物はなく土塁や堀が残る城跡。城域は国の史跡。天正3年(1575)の長篠の戦いで、奥平氏が籠城して武田勝頼の大軍を持ちこたえた攻防で名高い。隣接する長篠城址史跡保存館で関連資料を展示。日本100名城スタンプは同保存館付近に設置(押印時間は公式で要確認)。JR飯田線長篠城駅から徒歩圏。

筒井定次が改修し、のち藤堂高虎が拡張した城。日本有数の高さを誇る高石垣が見どころで、内堀沿いに約30mの石垣がそびえる。現在の天守は昭和10年(1935)に建てられた木造の模擬天守(別名・白鳳城)。日本100名城スタンプは天守1階に設置(押印時間は公式で要確認)。伊賀鉄道上野市駅から徒歩圏で、城跡は上野公園内にある。

蒲生氏郷が天正16年(1588)頃に築いた平山城。現存建物はなく、本丸・二の丸などを総石垣で固めた壮大な石垣が良好に残り、城跡は国の史跡。城内に本居宣長記念館や歴史民俗資料館があり、松阪公園として親しまれる。日本100名城スタンプは歴史民俗資料館・本居宣長記念館に設置(休館時は別施設、押印時間は公式で要確認)。JR・近鉄松阪駅から徒歩圏。

小谷山の尾根に築かれた山城跡で、日本五大山城のひとつ。天守は現存せず、石垣・土塁・曲輪・堀切などの遺構が残り、国の史跡に指定されています。戦国大名・浅井氏が築き、亮政・久政・長政の三代の居城に。浅井長政とお市の方の舞台として知られ、1573年に織田信長に攻められ落城しました。最寄りはJR北陸本線・河毛駅。スタンプは小谷城戦国歴史資料館に設置されています。

現存12天守のひとつで、天守・附櫓・多聞櫓は国宝。天秤櫓や太鼓門続櫓などが重要文化財として残り、近世城郭の姿を今に伝えます。井伊直政の遺志を継いで子の直継が築城を始め、1606年に天守が完成。以後、譜代筆頭・井伊氏の居城となりました。JR彦根駅から徒歩約15分。スタンプは彦根城開国記念館に設置されています。

織田信長が1576年に築いた、総石垣・五重天主を備えた近世城郭の先駆けです。本能寺の変の後に天主が焼失して城跡となり、現在は国の特別史跡に指定。天守台・曲輪・石垣が残り、城内の摠見寺には仁王門や三重塔が現存します。天下統一の拠点として知られる城。最寄りはJR安土駅。スタンプ設置場所は公式で要確認です。

徳川家康が築いた城で、世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成資産。大政奉還の舞台となった二の丸御殿は国宝で、江戸期の現存御殿として貴重です。二の丸庭園は特別名勝、隅櫓や東大手門も残ります。天守は落雷で焼失し現存せず、天守台のみ。地下鉄東西線・二条城前駅すぐ。スタンプは城内の大休憩所に設置されています。

「天空の城」として知られる山城跡で、雲海に浮かぶ姿が有名。天守はなく、穴太流の石垣が良好に残り、現存山城として屈指の規模を誇る国の史跡です。但馬守護・山名氏が嘉吉年間に築いたと伝わり、後に赤松広秀らが城主となりました。別名・虎臥城。最寄りはJR播但線・竹田駅。スタンプは料金収受棟・山城の郷・情報館「天空の城」の3か所に設置されています。

小笠原忠真が1618年に築いた城。天守は築かれませんでしたが、本丸の巽櫓・坤櫓が現存し、いずれも国の重要文化財です。城跡は国の史跡に指定されています。以後は越前系松平氏が親藩として明治維新まで治めました。JR・山陽電鉄の明石駅から徒歩約10分。スタンプは明石公園サービスセンターに設置されています。

現存12天守のひとつで、白漆喰の美しさから「白鷺城」とも呼ばれます。大小天守など8棟が国宝、多数の櫓・門・塀が重要文化財で、中堀以内は特別史跡。1993年に日本初の世界文化遺産に登録されました。現在の大規模な城郭は池田輝政が1601〜1609年に整備したもの。JR姫路駅から徒歩約15〜20分。スタンプ設置場所は公式で要確認です。

浅野長直が築いた変形輪郭式の海岸平城跡で、国の史跡。江戸期を通じ天守は建てられず、石垣・堀のほか復元された大手門や本丸庭園・二之丸庭園(国の名勝)が見どころです。忠臣蔵で知られる赤穂浪士・浅野家の居城でした。JR播州赤穂駅から徒歩約20分。スタンプは赤穂城本丸櫓門下と赤穂市立歴史博物館に設置されています。

備中松山城・岩村城と並ぶ日本三大山城のひとつで、国内最大規模の山城跡。天守などの建物は現存しませんが、壮大な石垣や石塁が残り、国の史跡に指定されています。1332年に越智邦澄が築いたと伝わり、江戸期は植村氏の高取藩として続きました。最寄りは近鉄吉野線・壺阪山駅。スタンプは観光案内所「夢創舘」に設置されています。

豊臣秀長が1585年に築き、のちに徳川御三家・紀州徳川家の居城となった城。8代将軍・吉宗を輩出しました。現在の天守は1945年の戦災で焼失後、1958年に鉄筋コンクリートで外観復元されたもの。岡口門と土塀は重要文化財、西之丸庭園は国の名勝です。南海・JRの和歌山市駅から徒歩約10分。スタンプは天守閣の楠門受付に設置されています。

全国に12しかない現存天守の一つで、2015年に国宝指定された望楼型・複合式の天守がそびえる。別名・千鳥城。地階で見つかった祈祷札が完成時期確定の決め手となった。城跡は1934年に国の史跡指定。築城者は堀尾吉晴で、慶長16年(1611)天守完成、以後堀尾・京極・松平氏の居城に。野面積みの石垣も見どころ。100名城スタンプは天守の登閣受付窓口に設置(登閣券が必要、最新は公式で要確認)。JR松江駅からレイクラインバスで「国宝松江城(大手前)」下車。

戦国大名・尼子氏の本拠として知られる標高約197mの月山に築かれた複郭式の山城跡で、国の史跡(富田城跡)。天守建物はなく、山中御殿跡や急峻な「七曲り」、石垣、約500もの曲輪が往時の堅城ぶりを伝える。永禄9年(1566)に尼子氏が滅び、後に堀尾氏が入るが松江城へ移り廃城に。山中鹿介ゆかりの地でもある。100名城スタンプは安来市立歴史資料館とされる(公式で要確認)。JR安来駅からイエローバスで「月山入口」下車、徒歩約1分。

森蘭丸の弟・森忠政が築き、元和2年(1616)に完成した平山城で、国の史跡(津山城跡)。日本三大平山城の一つとされる。明治の廃城で建物は失われたが、何段にも積み上がった壮大な高石垣が圧巻。城内最大規模の備中櫓は築城400周年を記念して2005年に復元された。城跡は鶴山公園として整備され、桜の名所100選にも選ばれる。100名城スタンプは備中櫓受付とされる(入園料要、公式で要確認)。JR津山駅から徒歩で登城口へ。

天守が現存する唯一の山城として知られ、雲海に浮かぶ「天空の山城」として人気。臥牛山上、標高約430mに建つ二層二階の天守は重要文化財で、二重櫓・三の平櫓東土塀も合わせ重文に指定。中世と近世の城郭が共存する城内は国の史跡。天和3年(1683)に水谷勝宗が現在の姿に修築した。100名城スタンプは天守券売所付近とされるが、臨時休城時は移設されるため公式で要確認。JR備中高梁駅から登城整理バスでふいご峠へ、徒歩約20分で天守。

7世紀後半に築かれたとされる古代山城で、国の史跡(鬼城山)。中世以降の城とは異なり天守はなく、復元された西門と角楼、約2.8kmにわたって山を取り巻く版築土塁や石垣、水門跡などが見どころ。発掘調査により築造年代が推定され、白村江の戦い後の防御施設と考えられる。桃太郎の温羅伝説の舞台でもある。100名城スタンプは鬼城山ビジターセンター(休館時は埋蔵文化財学習の館)に設置。JR服部駅から徒歩、またはJR総社駅からタクシー約30分。

黒い下見板から烏城(うじょう)とも呼ばれる城で、宇喜多秀家が慶長2年(1597)に天守を整えた。元の天守は戦災で焼失し、1966年に外観復元で再建、2022年の「令和の大改修」でリニューアル。本丸に唯一現存する月見櫓と西丸西手櫓は重要文化財、城跡は国の史跡。隣接する後楽園とあわせて巡れる。築城後は小早川氏を経て池田氏が幕末まで治めた。100名城スタンプは天守入口とされる(公式で要確認)。JR岡山駅から路面電車「城下」電停下車。

JR福山駅のすぐ北側に建つ城で、水野勝成が元和8年(1622)に築いた。元の天守は戦災で焼失し1966年に再建、築城400年の2022年に外観復元され、全国唯一とされる天守北面の鉄板張りがよみがえった。伏見城から移築されたと伝わる重要文化財の伏見櫓、拝領の筋鉄御門が現存し、城跡は国の史跡。100名城スタンプは管理事務所外の券売機横と天守内ミュージアムショップの2か所に設置。新幹線も停まるJR福山駅から徒歩すぐの好アクセス。

毛利輝元が築いた日本三大平城の一つに数えられる城。元の天守は旧国宝だったが原爆で倒壊・焼失し、1958年に外観復元で再建された。二の丸の表御門・平櫓・多聞櫓・太鼓櫓は古写真や実測図をもとに1994年に木造で再建。石垣や堀も残り、城跡は国の史跡。100名城スタンプは天守閣入口前の通路に設置(年末12/29〜31は設置なし)。JR広島駅から徒歩約25分、広島電鉄「紙屋町東」「紙屋町西」電停から徒歩約15分。

錦帯橋とともに岩国を代表する山城で、初代岩国藩主・吉川広家が慶長13年(1608)に築いた。築城後わずか7年で一国一城令により取り壊された。現在の三層四階・桃山風南蛮造りの天守は1962年の再建で、錦帯橋からよく見えるよう本来の天守台より南東に建つ。旧天守台の石垣は当時の石積みのまま見学できる。山麓の御土居跡は吉香公園として整備。100名城スタンプは岩国城天守受付に設置。山麓と山上はロープウエーで連絡(運行状況は最新を公式で要確認)。

毛利輝元が慶長9年(1604)に着手し慶長13年(1608)に完成させた城で、別名・指月城。指月山麓に築かれ、5層の天守がそびえたが明治の廃城令で破却され、現在は高さ約11mの天守台や石垣、堀が残る城跡(国の史跡)。城跡は指月公園として整備され、周辺の城下町は「明治日本の産業革命遺産」の関連地としても知られる。旧厚狭毛利家萩屋敷長屋などの重要文化財も近い。100名城スタンプは指月公園本丸入口の料金所に設置とされる(入園料要、公式で要確認)。

蜂須賀家政が築いた阿波の城。天守建物は現存しませんが、青石(緑色片岩)を用いた野面積みの石垣が独特の美しさを見せ、博物館に隣接する旧徳島城表御殿庭園は国の名勝に指定されています。城跡一帯は徳島中央公園として整備されています。日本100名城スタンプは徳島市立徳島城博物館の受付付近に設置(観覧料不要で押印可)。アクセスはJR徳島駅から徒歩約10分。

生駒親正が築き、のちに松平氏の居城となった海城で、別名・玉藻城。堀に海水を引き込む構造で日本三大水城の一つに数えられます。天守は明治期に解体され現存しませんが、月見櫓・水手御門・渡櫓・艮櫓が国の重要文化財に指定。現在は玉藻公園として公開。日本100名城スタンプは玉藻公園の東入口・西入口など(詳細は公式で要確認)。JR高松駅から徒歩約3分。

亀山に築かれた讃岐の城で、現存十二天守の一つ。天守は三重三階の小規模な現存天守として知られ、扇の勾配と称される高さ日本一級の総高約60mの石垣が最大の見どころです。生駒氏が築き、のちに山崎氏・京極氏が居城としました。日本100名城スタンプは丸亀城天守の入口に設置(天守は有料)。JR丸亀駅から徒歩約10分。

築城の名手・藤堂高虎が瀬戸内海に面して築いた平城で、別名・吹揚城。海水を堀に引き込む日本屈指の海城として知られ、高松城などとともに日本三大水城に数えられます。天守は1980年に鉄筋コンクリートで再建されたもの。石垣や堀、再建された櫓・門が見どころです。日本100名城スタンプは今治城天守の入口に設置(天守は有料)。

中世に伊予国守護・河野氏が約250年にわたり居城とした平地の城跡で、道後公園として整備されています。土塁や堀などの遺構が残り、武家屋敷や庭園の一部が復元され、国の史跡に指定。天守などの近世城郭建築はありません。日本100名城スタンプは湯築城資料館に設置(休館時は館外に設置/詳細は公式で要確認)。道後温泉に近く、伊予鉄道後公園電停すぐ。

加藤嘉明が勝山の山上に築いた伊予の城で、現存十二天守の一つ。連立式の天守をはじめ、櫓・門・塀など多数の建造物が国の重要文化財に指定されています。城下からはロープウェイ・リフトで登城でき、山上からの眺望も魅力。日本100名城スタンプは松山城天守の入口に設置(天守は有料)。JR松山駅などから市内電車で大街道下車、ロープウェイ乗り場へ。

肱川のほとりの丘に築かれた伊予・大洲の平山城。四重四階の天守は2004年に古写真や資料をもとに伝統工法で木造復元されたもので、木造復元天守として国内最大級とされます。台所櫓・高欄櫓など現存する櫓は国の重要文化財。日本100名城スタンプは大洲城本丸の受付に設置(天守は有料)。JR伊予大洲駅から城まで徒歩圏。

藤堂高虎が築き、のちに伊達氏が居城とした宇和島の城で、現存十二天守の一つ。三重三階の現存天守は国の重要文化財に指定され、城跡は国の史跡。山上の天守までは石垣や登城道を含む遺構が残ります。日本100名城スタンプは宇和島城天守に設置(天守は有料)。JR宇和島駅から徒歩圏で、麓から天守まで徒歩で登城します。

山内一豊が大高坂山に築いた土佐の城で、現存十二天守の一つ。天守だけでなく本丸御殿(懐徳館)も現存する全国唯一の城として知られ、本丸の建造物がほぼ完存。天守・御殿・追手門など多数の建造物が国の重要文化財に指定されています。日本100名城スタンプは本丸御殿の入口に設置(有料区域)。JR高知駅からバスや路面電車でアクセス、追手門から登城。

白村江の敗戦後、唐・新羅の侵攻に備え665年に大宰府の背後・四王寺山に築かれた日本最大級の古代山城。本土の近世城郭とは異なり、総延長約8kmに及ぶ土塁・石塁、九つの城門跡、礎石建物群、最大の石垣『百間石垣』が山中に残る。国の特別史跡。史跡が太宰府市・大野城市・宇美町にまたがるため、スタンプは複数施設に設置。最寄りは各市町の登山口やふれあい施設から。

佐賀平野に広がる弥生時代の大規模な環濠集落跡で、約117haに及ぶクニの中心集落。二重の環壕、木柵や逆茂木、物見櫓、北内郭・南内郭、墳丘墓や甕棺墓などが発掘され、歴史公園として竪穴住居や物見櫓が復元されている。城ではなく弥生の遺跡で、国の特別史跡。スタンプは吉野ヶ里歴史公園の入口(東口・西口)とされるが、公式で要確認。JR吉野ヶ里公園駅から徒歩約15分。

平戸藩主・松浦氏の居城で、三方を平戸瀬戸に囲まれた景勝の地に建つ平山城(別名・亀岡城)。松浦鎮信が築いた後、江戸中期に再築された。現在の五重天守は1962年建設の鉄筋コンクリート造の模擬天守で、藩政時代の遺構としては狸櫓と現存唯一の木造遺構である北虎口門が残る。眼下に平戸の海を望む。スタンプは平戸城天守受付とされるが公式で要確認。松浦鉄道たびら平戸口駅からバス利用。

島原藩主・松倉重政が元和年間(1618〜)に築いた連郭式の平城。江戸期の遺構は石垣と堀で、五重の天守と三つの三層櫓は昭和に外観復興された鉄筋コンクリート造の建物。白壁の天守が青空に映える島原のシンボルで、内部はキリシタン史料などの展示館となっている。2025年に国の史跡へ指定された。スタンプは島原城天守受付とされるが公式で要確認。島原鉄道・島原駅から徒歩圏。

加藤清正が1591年頃から築いた名城で、別名・銀杏城。現在の大天守・小天守は西南戦争焼失後の1960年に外観復元された鉄筋コンクリート造だが、宇土櫓をはじめ13棟の建造物が国の重要文化財として残る。城跡は国の特別史跡。2016年熊本地震からの復旧途上で、天守は復旧し2021年に内部公開を再開、宇土櫓などは復旧工事中。スタンプは券売所等に設置だが運用変更があり公式で要確認。市電・熊本城市役所前下車。

鎌倉初期に相良長頼が築いたと伝わり、相良氏が約670年にわたり在城した梯郭式の平山城。天守はもとから設けられず、石垣・土塁が主な遺構で、隅櫓や多門櫓は再建されたもの。幕末に築かれた『武者返し』のはね出し石垣は全国でも稀少。城跡は国の史跡。スタンプは2020年豪雨で休館後に再開した人吉城歴史館に設置。JR肥薩線・人吉駅からバス利用(肥薩線は一部不通区間あり要確認)。

府内(大分)の海に臨んで築かれた梯郭式の平城。福原直高が着手し竹中重利が慶長7年(1602)に完成させた。四層天守は江戸期の大火で失われ天守台のみが残るが、幕末に再建された人質櫓と宗門櫓が江戸期建造物として現存し、大手門や廊下橋が復元されている。城跡は大分県・大分市の指定史跡。スタンプは大手門下に設置され24時間押印可能。JR大分駅から徒歩約15分。

標高約325mの断崖の岩山上に築かれた山城で、城内の建物は明治の廃城で取り払われ、谷を見下ろす雄大な高石垣が残る城跡。緒方惟義が築いたと伝わり、文禄年間に中川秀成が入って以後は岡藩中川氏の居城となった。竹田で育った瀧廉太郎の『荒城の月』のイメージ源とも言われる。城跡は国の史跡。スタンプは岡城料金所(観覧券販売所)で受け取れる。JR豊肥本線・豊後竹田駅からバス利用。

シラス台地を空堀で区切った南九州型の平山城で、天正16年(1588)に伊東祐兵が城主となって以後、明治まで飫肥藩伊東氏の居城。天守はもとから建てられず石垣が主な遺構で、1978年に飫肥杉で木造復元された大手門が象徴。松尾の丸御殿や藩校・振徳堂が残り、城下町は国の重要伝統的建造物群保存地区(城跡自体は日南市指定史跡)。スタンプは飫肥城歴史資料館に設置。JR日南線・飫肥駅から徒歩約15分。

沖縄本島北部を治めた北山王の居城とされる、琉球のグスク(城)。本土型の天守はなく、地形に沿って曲線を描く堅固な石垣が幾重もの郭を囲み、面積は首里城に匹敵する大規模なもの。13〜14世紀の創建とされ、世界文化遺産『琉球王国のグスク及び関連遺産群』の構成資産で、国の史跡。城内には御嶽(聖域)も残る。スタンプは今帰仁村グスク交流センターに設置。那覇からバスで『今帰仁城跡(入口)』下車。

15世紀の名築城家・護佐丸ゆかりの琉球のグスク(城)で、本土型の天守はなく、布積みなどの精巧な技法による美しい曲線の石垣が、北の郭から南の郭まで連なる。当時最高の築城技術を伝える遺構で、世界文化遺産『琉球王国のグスク及び関連遺産群』の構成資産であり国の史跡。東シナ海を望む眺望も魅力。スタンプは中城城跡の管理事務所(チケット売場)に設置。那覇方面からバスとコミュニティバスを乗り継いで来訪。

尚巴志による三山統一後、琉球王国歴代国王の居城となったグスク(城)。曲線を描く石垣と朱塗りの建物群が琉球文化を象徴し、世界文化遺産『琉球王国のグスク及び関連遺産群』の構成資産(世界遺産の対象は地下の首里城跡)で国の史跡。正殿は2019年の火災で焼失し再建工事中で、外観の見学が可能。工事の進捗で公開範囲が変わるため最新情報は公式で要確認。スタンプ設置場所も公式で要確認。ゆいレール首里駅から徒歩約15分。
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